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神戸地方裁判所 昭和60年(ワ)94号 判決

昭和六0年(ワ)第九四号事件原告(昭和六二年(ワ)第一0四号事件被告)

中 田 正 弘

右訴訟代理人弁護士

前 田   貢

昭和六0年(ワ)第九四号事件被告(昭和六二年(ワ)第一0四号事件原告)

中 田 正 己

右訴訟代理人弁護士

西 阪 幸 雄

昭和六0年(ワ)第九四号事件被告(昭和六二年(ワ)第一0四号事件被告)

中 田   繁

右訴訟代理人弁護士

中川内 良 吉

主文

一  別紙物件目録(一)ないし(三)記載の各不動産を、別紙第一分割目録記載のとおり分割する。

二  昭和六0年(ワ)第九四号事件被告(昭和六二年(ワ)第一0四号事件原告)中田正己に対し、昭和六0年(ワ)第九四号事件原告(昭和六二年(ワ)第一0四号事件被告)中田正弘は金四00万円、昭和六0年(ワ)第九四号事件被告(昭和六二年(ワ)第一0四号事件被告)中田繁は金二五0万円を、それぞれ支払え。

三  昭和六0年(ワ)第九四号事件原告(昭和六二年(ワ)第一0四号事件被告)中田正弘のその余の請求及び昭和六0年(ワ)第九四号事件被告(昭和六二年(ワ)第一0四号事件原告)中田正己のその余の請求を、いずれも棄却する。

四  訴訟費用は、両事件を通じてこれを三分し、各一宛を各当事者の負担とする。

事実

以下、昭和六0年(ワ)第九四号事件を「第九四号事件」と、昭和六二年(ワ)第一0四号事件を「第一0四号事件」と、第九四号事件原告(第一0四号事件被告)中田正弘を「正弘」と、第九四号事件被告(第一0四号事件原告)中田正己を「正己」と、第九四号事件被告(第一0四号事件被告)中田繁を「繁」と、それぞれいうこととする。

(第九四号事件)

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1 別紙物件目録(一)ないし(三)記載の各不動産を別紙第二分割目録記載のとおり分割する。

2 正己は、正弘に対し、別紙第二分割目録記載の各不動産につき、共有物分割を原因とする所有権移転登記手続をせよ。

3 訴訟費用は、正己、繁らの負担とする。

二  請求の趣旨に対する正己、繁らの答弁

1 正弘の請求をいずれも棄却する。

2 訴訟費用は正弘の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1 別紙物件目録(一)及び(二)記載の各建物(以下、右各建物を「本件建物(一)」、「本件建物(二)」といい、右各建物を総称して「本件各建物」という)並びに同目録(三)記載の土地(以下「本件土地」という)は、もと、中田弥右エ門(以下「弥右エ門」という)の所有であった。

2 昭和三七年五月三0日、右弥右エ門が死亡し、正弘、正己、繁の三名が右各不動産を相続した。

3 昭和五二年三月二三日、家事調停(神戸家庭裁判所昭和五一年(家イ)第一六七号遺産分割事件。以下「本件遺産分割調停」という)の結果、本件各不動産につき、正弘が五0分の一六、正己が五0分の二0、繁が五0分の一四の各持分を有する旨合意された。

4 本件土地については、昭和五二年八月三日、正弘、正己、繁がそれぞれ右各共有持分を有する旨の所有権移転登記がなされたが、本件建物(一)及び(二)については、正己が昭和五七年五月一二日正己単独名義の所有権保存登記手続をなした。

5 本件各不動産を、別紙第二分割目録記載のとおりに分割すべき理由は、次のとおりである。

(一) 本件土地全体の価額は、金五九八0万円であるから、正弘の本件土地に対する持分の価額は、次のとおり、金一九一三万六000円である。

5980万×16/50=1913万6000

(二) 本件建物(一)の敷地たる別紙第二分割目録(一)記載の土地の価額は、金一八五三万円であり、これを正弘の単独所有とすると、その価額は、(一)項記載の同人の持分より金六0万六000円少くなるが、正弘はその結果を甘受する。

二  請求原因に対する正己の答弁

1 請求原因1ないし3の各事実中、本件土地に関する部分はいずれも認めるが、本件各建物に関する部分は否認する。本件各建物は、正己が自己の資金約三00万円を支出して昭和三四年四月に建築したもので、もともと正己の単独所有に属するものである。本件各建物が正己の単独所有に属することは、本件遺産分割調停の調停調書の遺産目録に本件各建物は記載されておらず、かつ、調停調書の記載をもって弥右エ門の遺産に関する紛争が一切解決したことを確認していることからも明らかである。

2 同4の事実は認める。

3 同5は争う。

三  請求原因に対する繁の答弁

1 請求原因1ないし4の各事実は認める。

2 同5は争う。本件遺産分割調停において、本件各不動産を、それぞれが正弘主張のとおりの各持分割合で共有する旨の合意が成立したのは、いずれも本件土地上に建っている本件建物(一)と、本件建物(二)の西側部分と東側部分との、それぞれの敷地面積の本件土地全体の面積に対する割合を大体の概算で算出して定めたものであり、右持分割合の合意をするに際しては、将来共有物の分割をするについて、本件建物(一)とその敷地部分を繁の、本件建物(二)の西側部分とその敷地部分を正弘の、本件建物(二)の東側部分とその敷地部分を正己の、それぞれ単独所有とすべき旨が合意されたのである。

(第一0四号事件)

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1 本件土地を、別紙第三分割目録記載のとおり分割する。

2 正弘は、本件建物(二)のうち別紙明渡請求目録(一)記載の部分を、繁は、同建物の同請求目録(二)記載の部分を、それぞれ明渡し、かつ、昭和六二年二月七日から右明渡済みに至るまで一か月金一万九五00円の割合による金員をそれぞれ支払え。

3 訴訟費用は、正弘、繁らの負担とする。

二  請求の趣旨に対する正弘、繁らの答弁

1 正己の請求をいずれも棄却する。

2 訴訟費用は正己の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1 本件土地は、もと弥右エ門の所有であったが、同人は昭和三七年五月三0日死亡し、本件遺産分割調停の結果、正己が五0分の二0、正弘が五0分の一六、繁が五0分の一四の各共有持分を取得する旨合意された。

2 本件土地を、右共有持分に従い、かつ、建物の所在位置とその居住関係等を考慮して分割すると、別紙第三分割目録記載のとおりとなる。

3 本件建物(二)は、正己の所有である。その理由は、第九四号事件の請求原因1ないし3についての答弁において述べたとおりである。

4 然るに、右建物のうち、正弘は別紙明渡請求目録(一)記載の部分を、繁は同目録(二)記載の部分を、それぞれ占有している。

5 右各占有部分の相当賃料額は、いずれも一か月金一万九五00円である。

二  請求原因に対する正弘の答弁

1 請求原因1及び4の各事実は認める。

2 同2は争う。第九四号事件において正弘が主張するように分割すべきである。

3 同3ないし5の各事実は否認する。なお、本件建物(二)は、第九四号事件請求原因1ないし3に述べたとおり、本件土地と同様の持分割合による三名の共有である。

三  請求原因に対する繁の答弁

1 請求原因1、3ないし5の各事実については、正弘の答弁と同じである。

2 同2については、繁が分割取得すべき土地の位置については争わないが、その面積は、別紙地積測量図①②②⑨⑨⑩①の各点を順次直線で結んで囲まれた範囲の六六.三0平方メートルとすべきであり、その理由は、第九四号事件の請求原因5に対する答弁で述べたとおりである。

(証拠)〈省略〉

理由

一本件土地が、もと弥右エ門の所有であったこと、本件遺産分割調停において、正己、正弘、繁の三名は、本件土地をそれぞれ五0分の二0、五0分の一六、五0分の一四の各割合で相続する旨合意したこと、並びに本件土地及び本件各建物について、正弘主張のとおりの登記がなされていることは、いずれも当事者間に争いがない。

二ところで、正弘は、本件各建物についても、もと弥右エ門の所有であったところ、右調停において、正己、正弘、繁の三名が右土地と同様の持分割合でこれを共同相続することになったと主張し、繁との間では右事実につき争いはないが、正己はこれを争い、本件各建物はもともと自己の所有であると主張するので、まずこの点について判断する。

正己は、本件各建物が自己の所有に属することにつき、昭和三四年四月、約三00万円の自己資金を投じてこれを建築したものであり、このことは、本件遺産分割調停の調停調書において、その遺産目録の中に右各建物が記載されておらず、かつ、同調書記載の各条項をもって弥右エ門の遺産に関する紛争が一切解決したものとする旨記載されていることからも明らかである、と主張し、正己本人尋問において、右主張にそう供述する。

しかしながら、〈証拠〉によれば、次の事実を認めることができる。すなわち、本件各建物が建築されたのは昭和三四年四月のことであるが、当時、正己は満二九歳であり、神戸市役所に勤めて一0年経過した時点であったこと、その給与は、せいぜい月額二万円(年二四万円)程度であり、多少のアルバイトをしたところで、年収の一二.五倍の建築費を捻出し得たとは到底考え難いこと、しかも、正己は、右のように当人にとっては巨額の出費を要した一大事業であるはずの本件各建物の建築を誰に依頼したのかさえ記憶していないこと、正己らの父弥右エ門は、本件各建物建築の前年である昭和三三年、五五才で事実上の停年となり、神戸市役所を退職し、退職金を取得し、右各建物の建築資金を十分有していたと考えられること、本件建物(二)について、繁が昭和五一年別紙明渡請求目録(二)の部分に、正弘が昭和五三年同目録(一)の部分に、いずれも母である中田三三百の承諾を得てそれぞれ入居しているが、その際正己の承諾は何ら求められていないのみならず、逆に、正己から右各入居に対し何らかの異議を申し出た事実もないこと、また、本件遺産分割調停の調停調書の記載は、正己主張のとおりとなっていることが認められるが、右調停事件は、弥右エ門と三三百間の長女中田ツヤ子が、母の三三百と、正己ら兄弟五人を相手方として申し立てたものであるところ、法律の専門家である弁護士は申立人であるツヤ子にのみ選任され、相手方はいずれも本人のままであったので、相手方各自の権利保護に関する調停条項の表現には、必ずしも万全といえない面がないではなかったと考えられること、しかも、右ツヤ子の調停申立書の物件目録自体に本件各建物が記載されていなかったため、右調停において、本件各建物について明示的にこれを話題とすることはなかったこと、しかし、本件土地を、正己、正弘、繁の三名が、それぞれ五0分の二0、五0分の一六、五0分の一四の各割合で取得するという考えは、正己自身が、本件土地上における本件各建物のおおよその所在位置等を考慮し、本件土地を本件建物(二)の東側部分と西側部分の各敷地部分、本件建物(一)の敷地部分の三つに分け、右各敷地部分の面積の本件土地全体のそれに対する割合を概算で算出し、自己が一番面積の大きい本件建物(二)の東側部分の敷地部分を取得すべきことを前提にして提案したものであり、当初の提案は、正己が五0分の一九、正弘が五0分の一七、繁が五0分の一四というものであったが、本件土地の東側の境界線が少し曲っていること等のため、東側部分の土地の割合を少し増やすべきであるとの理由で、前記の割合に修正したものであること、そして、右持分割合の協議に際しては、本件建物(二)の東側部分とその敷地部分を正己が、同建物の西側部分とその敷地部分を正弘が、本件建物(一)とその敷地部分を繁が、それぞれ将来分割取得すべきことが前提にされていたこと、また、もし、本件遺産分割調停成立時において、本件各建物が正己の単独所有であることが確認されたというのであれば、本件土地を将来分割する際に、本件各建物のいずれかの部分は、当然、正弘若しくは繁がそれぞれ所有すべき土地上に存在することになって、問題が生ずることになるのは自明であるから、この点について何らかの手当てがなされて然るべきであるのに、これが一顧だにされていないのみか、話題にも出ていないこと、のみならず、右調停成立時、すでに繁は本件建物(二)の前示の部分に居住していたのに、同人の右建物部分の使用権原、使用期間、その他の条件について何らのとりきめもなされていないこと、以上の事実が認められる。

右認定事実によれば、本件各建物は、正己が自らの資金で建築した同人所有のものというわけではなく、事実は、もともと弥右エ門の所有であったこと、そして、本件遺産分割調停において、本件各建物は、黙示的に、本件土地とともに一体的に、正己、正弘、繁が前示の各持分割合で共有する旨合意されたものというべきである。

右認定に反する正己本人の供述部分は、前掲各証拠に照らして措信できない。また、〈証拠〉によれば、正己が昭和四0年七月一九日川田房吉に対し本件建物(二)の一部分を賃貸したことが認められ、このことは、一見、同建物の所有権が正己にあることを前提にした取り扱いのように見えなくもないが、〈証拠〉によれば、三三百も昭和四五年七月一三日田中節雄に対し本件建物(二)の一部分を賃貸している事実が認められ、〈証拠〉の存在から直ちに本件各建物の所有権が正己にあるということはできない(父弥右エ門が、長男である正己や妻である三三百に自己所有の建物部分の賃貸等の行為を委せただけにすぎないものと推認される)。また、〈証拠〉によれば、正己は、本件建物(一)の一部分を松原邦雄及び西尾秀樹に、本件建物(二)の一部分を下田アヤ子に賃貸した事実が認められるが、これらは、いずれも、正己が昭和五七年に本件各建物につき自己名義に所有権保存登記手続をなした後のことであるから、右各建物がもともと正己の所有に属していたことを推認させる資料にはなり得ない。また、〈証拠〉によれば、昭和五九年の本件各建物の固定資産課税台帳の所有者欄に正己の氏名が記載されていることが認められるが、これも、前示の所有権保存登記手続経由後のことであるから、前同様、本件各建物がもともと正己の所有であったことを推認させる資料にはなり得ない。

三そこで、以下、本件各不動産をどのように分割すべきかについて検討する。

1  前認定の事実によれば、本件各不動産について、正己、正弘、繁の各共有持分がそれぞれ五0分の二0、五0分の一六、五0分の一四という各割合に定められたのは、本件土地上に存在する本件各建物の所在位置等を考慮し、本件土地を、本件建物(二)の東側部分と西側部分の各敷地部分、本件建物(一)の敷地部分の三つに分け、右各敷地部分の面積の本件土地全体のそれに対する割合を概算で算出した数字を基にして定められたものであること、そして右持分割合の協議に際しては、本件建物(二)の東側部分とその敷地部分を正己が、同建物の西側部分とその敷地部分を正弘が、本件建物(一)とその敷地部分を繁が、それぞれ将来分割取得すべきことが暗黙の前提とされていたことが認められる。そこで、当裁判所も、可能な限りこの考え方を尊重して本件各不動産を分割すべきものと思料する。

2  ところで、右の考え方は、本件建物(二)の東側部分と西側部分とが、それぞれ区分所有権の目的となり得なければ所詮成り立ち得ないので、まずこの点につき按ずるに、〈証拠〉によれば、本件建物(二)は、いわゆる文化住宅構造で、別紙建物見取図記載のとおり、その東側部分と西側部分とは、境界線で遮断され、双方に玄関、台所、トイレ、浴室を備え、構造上、利用上の独立性を有していることが認められるから、いずれも区分所有権の目的となり得ることが明らかである。

3  次に、本件各建物を、本件建物(二)の東側部分と西側部分、本件建物(一)の三つに分け、右各建物の所在位置を考慮して本件土地を三分すると、厳密には、別紙地積測量図記載の「建物を基準とした分割線」に従って分割することになり、各人の共有持分どおりに本件土地を三分した場合の、同図面記載「共有持分を基準とした分割線」に従って分割した場合との間に、若干の誤差を生じる。

4  しかしながら、前示のとおり、もともと本件各不動産の共有持分割合を定めるに際しては、三者の間で、本件各建物の存在を前提にし、これを基準にして将来分割すべきことが想定されていたのであるから、本件土地を各人の共有持分割合どおりに厳格に三分し、建物を毀損せざるを得ないような結果を容認する分割方法を採用することは適当でなく、あくまで建物を基準にして分割し、その結果生ずる各人の共有持分割合との過不足は、持分を超過して不動産を分割取得すべき者に対し価格賠償を命ずることにより調整するのが相当であると考える(なお、現物分割に際し価格賠償を命じて過不足の調整をすることが許されることにつき、最高裁昭和六二年四月二二日大法廷判決参照)。

5  よって、結局、本件各不動産の分割については、まず本件土地を、本件建物(二)の東側部分と西側部分の各敷地部分、本件建物(一)の敷地部分に三分したうえ、別紙第一分割目録記載のとおり、本件建物(二)の東側部分とその敷地部分を正己が、同建物西側部分とその敷地部分を正弘が、本件建物(一)とその敷地部分を繁が、それぞれ分割取得するべきである。

四最後に、価格賠償による過不足の調整の額について検討する。

1  本件各不動産を、別紙第一分割目録記載のとおりに分割すると、鑑定の結果によれば、昭和六一年三月一二日時点の不動産価格において、次のような過不足をきたすことが認められる(但し、借家権の存在を考慮することは、右の調整額を算出するためには必ずしも必要ないので、ここでは考慮しないこととする。また、前認定のとおり、本件建物(二)の東側部分を正己、西側部分を正弘、本件建物(一)を繁がそれぞれ分割取得すべきことが前提となって各人の共有持分割合が定められたということと、右各建物の間には、それ程大きな価値の差はないこととに鑑み、過不足の調整は、土地の価格の差を中心として検討することとする)。

(一)  正己

(1) 正己の持分に相当する土地の価格 金二五六二万円

6406万円(2311万円+2215万円+1880万円=土地全般の価格)×20/50=2562万円)

(2) 正己の取得すべき土地の価格 金二三一一万円

(3) 不足額 金二五一万円

(二)  正弘

(1) 正弘の持分に相当する土地の価格地番

土地の所在 神戸市中央区熊内橋通1丁目18番1

仮換地 神戸市中央区旗塚工区1A街区11号地

共有持分による夫々の地積

C 233.931277×20/50=93.5725108m2(28.305684坪)

B 〃×16/50=74.8580086m2(22.644547坪)

A 〃×14/50=65.5007575m2(19.813979坪)

②−⑨(建物を基準とした分割線)を現実の分割線とすればAはBに対して0.80m2(0.2431坪)の価格分だけ支払う必要がある。

③−⑧(建物を基準とした分割線)を現実の分割線とすればBはCに対して7.99m2(2.4176坪)の価格分だけ支払う必要がある。

金二0五0万円

6400万円×16/50=2050万円

(2) 正弘の取得すべき土地の価格 金二二一五万円

(3) 超過額 金一六五万円

(三)  繁

(1) 繁の持分に相当する土地の価格金一七九三万円

(2) 繁の取得すべき土地の価格 金一八八0万円

(3) 超過額 金八七万円

2  右鑑定の結果に基づく過・不足額を基礎にし、右鑑定時から三年を経過し、この間土地の価格が高騰したこと、その他本件に現れた一切の諸事情を総合考慮すると、結局、当裁判所は、正己に対し、正弘は金四00万円、繁は金二五0万円、合計金六五0万円の価格賠償をするのが相当であると考える。

五  以上のとおりであるから、本件各不動産は、これを別紙第一分割目録記載のとおりに分割するとともに、正弘に対し金四00万円、繁に対し金二五0万円をそれぞれ価格賠償として正己に支払うべき旨を命じることとし、正己に対し別紙第二分割目録記載の各不動産について共有物分割を原因とする所有権移転登記手続をなすよう求める正弘の請求と、正弘に対し別紙明渡請求目録(一)記載の部分、繁に対し同目録(二)記載の部分の各明渡と明渡済みに至るまでの損害金の支払を求める正己の請求は、いずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九二条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官増山 宏)

別紙物件目録

(一) 神戸市中央区熊内橋通一丁目一八番地一、一九番地三、一九番地四(仮換地 旗塚換地区一A七街区一一号地)

家屋番号  一八番一の一

一 木造瓦葺二階建  居宅

一階  五七.三三平方メートル

二階  五七.三三平方メートル

(二) 神戸市中央区熊内橋通一丁目一八番地一、一九番地二、一九番地一、一九番地五(仮換地 旗塚換地区一A七街区一一号地)

家屋番号  一八番一の二

一 木造瓦葺二階建  共同住宅

一階  一二0.五八平方メートル

二階  一一六.二九平方メートル

(三) 神戸市中央区熊内橋通一丁目一八番の一

一 宅地  二八七.六六平方メートル

仮換地

旗塚工区一A七街区一一号地

一 宅地 二三三.九一平方メートル

別紙第一分割目録

一 中田正己所有部分

(一) 土地

別紙物件目録(三)記載の土地のうち、別紙地積測量図③④⑤⑥⑦⑧③の各点を順次直線で結んで囲まれた部分八五.五八平方メートル

(二) 建物

別紙物件目録(二)記載の建物のうち、東側部分(別紙建物見取図赤線で囲んだ部分)〈編注・淡着色部分〉

一階  六0.二九平方メートル

二階  五八.一四五平方メートル

二 中田正弘所有部分

(一) 土地

別紙物件目録(三)記載の土地のうち、別紙地積測量図②③′③⑧⑨′⑨②の各点を順次直線で結んで囲まれた部分八二.0四平方メートル

(二) 建物

別紙物件目録(二)記載の建物のうち、西側部分(別紙建物見取図青斜線で囲んだ部分)〈編注・濃着色部分〉

一階  六0.二九平方メートル

二階  五八.一四五平方メートル

三 中田繁所有部分

(一) 土地

別紙物件目録(三)記載の土地のうち、別紙地積測量図①②′②⑨⑨′⑩①の各点を順次直線で結んで囲まれた部分六六.三0平方メートル

(二) 建物

別紙物件目録(一)記載の建物

別紙第二、第三分割目録〈省略〉

別紙明渡請求目録〈省略〉

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